教訓 7月30日記事

 「高き住居は児孫の和楽
  想へ惨禍の大津浪
  此処より下に家を建てるな
  明治廿九年にも昭和八年にも津浪は此処まで来て
  部落は全滅し生存者僅かに前に二人後に四人のみ
  幾歳経るとも要心おせ 」

これは、宮古市中心部から車で小一時間ほど狭い山道を走り抜けた
重茂(おもえ)半島の姉吉集落にある石碑の碑文です。

この小さな集落では、明治三陸沖地震と昭和三陸沖地震の
2回の津波により大きな被害を受けたことから、
先人たちが津波到達点のやや高い位置に
「ここまで津波が来たので、
これより低いところに家を建ててはいけない」という内容の
石碑を建立したのです。


(もともと水産関係の施設とキャンプ場しかなかった海辺。)

石碑建立以降、住民が石碑より海側に住宅を建築しなかったため、
震災でも石碑に50メートルのところまで津波が迫ったものの、
人的被害が無かったどころか、住宅被害も無かったとのことです。

時とともに災害の記憶が薄れていく傾向がある中、
また、水産業などの産業活動や生活の効率性・利便性を考えると
海沿いの低地に主要施設や住宅などを配置するのは当然な中、
この教訓を守った姉吉の方には頭が下がる思いです。


(記念碑より高い位置に住宅が見える。海からは約300メートル。)

−おさらいメモ−

大津浪記念碑(おおつなみきねんひ)

宮古市重茂(おもえ)の姉吉地区、海抜約50メートルの位置にある石碑。姉吉地区では1896年の明治三陸地震による津波で地区の住宅をすべて流失し8割が犠牲者となった。また、1933年の昭和三陸地震でも約半数の住民の犠牲と住宅被害を経験し、その2度の教訓から「ここより下に家を建てるな」と警告しためずらしい石碑である。東日本大震災では水産関係施設やキャンプ場施設などに被害はあったものの住宅や人的被害はなかった。 


(宮古市重茂姉吉の大津浪記念碑)

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