心の支え〜鉄路その1 7月4日記事

県北太平洋側にある漁業や酪農などが盛んな
田野畑村の島越(しまのこし)集落に入ります。

東日本大震災では、田野畑村内で最も被害の大きかった集落であり、
駅からは高台にある2軒の民家が見えるだけで、
眺望できる範囲のものはすべて津波に流されたのだそうです。


カルボナード島越駅です。

破壊され鉄筋むき出しの宮澤賢治の詩碑と行き場を失った階段数段が、
まざまざと津波の威力を見せつけてくれます。



1981年に第三セクターとなった三陸鉄道は、
当初10年程度は黒字を維持したものの、
沿線の過疎化等から乗降客数が減少し赤字へ転落、
積み立てていた運営基金も取り崩しながらの経営となりました。

そこに東日本大震災です。
この島越集落も大部分が壊滅、
住民の多くが高台へ移住し集落の人口は大きく減りました。
駅員さんの話では、学生の通学需要はそれなりにあるものの、
沿線の人口減少がさらに深刻なものとなっており、
見通しは決して良くないものの
観光客に期待したいとのことでした。



さて、列車が島越駅に到着します。
列車通過時に眼下のこちらへ手を振る親子4人の姿が見えます。
一瞬周囲を見渡し、列車を仰ぐ自分への合図であることを確認し、
手を振り返します。
列車の親子の手はさらに大きく振られます。
そして、やがてほかの乗客からも手が振られ、
ほぼ満員に近い列車からは多くの笑顔が添えられ、
温かい視線を浴びているのが感じられます。

列車がトンネルに消えゆくまでそれは続くのです。

田野畑編 〜完〜
皆さまのご意見やご感想をお待ちしております。


−おさらいメモ−

島越駅(しまのこしえき)

岩手県下閉伊郡田野畑村にある三陸鉄道北リアス線の駅。駅の愛称は宮沢賢治の童話の中から引用し「カルボナード島越駅」。震災では、駅舎・ホーム、線路、高架橋すべてが津波により流失し、宮澤賢治の詩碑とホームへ続く階段の一部が残され、これらは震災遺構とされた。本駅は位置を移動し2014年6月に再び開業した。


 

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