10.我田引鉄 8月26日記事


震災とは関係ありませんが、
前回、JR大船渡線のBRTについて触れましたので、
大船渡線について番外編として触れたいと思います。

大船渡線の鉄路部分に Ω 状の部分があります。
これは険しい山などの障害物による迂回ではありません。
一関市から陸前高田市に向かう街道の途中に
摺沢(すりさわ)という集落があり、
Ω状の迂回の頂点にある摺沢に迂回させるルートで
大船渡線を敷設したのです。

時は盛岡出身の平民宰相、原敬による
政党政治が始まった大正時代、
原率いる立憲政友党所属の摺沢出身政治家が
敷設ルート決定に関わったと言われており、
地元摺沢では、敷設に尽力したとして
その功績を胸像に称えています。


(摺沢駅の胸像)

「我田引鉄」この言葉に聞き覚えはありませんか。
これは、「我田引水」をもじって作られた言葉で、
鉄道による利益誘導を行う政治を表した言葉で、
この時代から盛んに行われた政治手法です。
高速道路建設などでも現代政治に通ずるところがあります。

なお、当時、大船渡線の迂回部分は
鍋の弦のような形状から「鍋弦線」とも言われ、
現在は、大船渡線全体の形状が竜に見えることから
「ドラゴンレール大船渡線」という愛称で呼ばれています。


JR摺沢駅


番外編 〜完〜
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